急速に形を変えるツイッターと個人ブログの行く末

お久しぶりです

お久しぶりです。あけましておめでとうございます。

定期的にデバイスやガジェットを買っては誰かに自慢したくなり

そのタイミングだけブログを更新する男です。

(G Pro Xのタイミングでまた出没したので順序が逆になりました)

そしてその後はまた人知れぬ闇へと消えていきます。

この間隔がどんどん長くなってきていて、そろそろオリンピックか僕か、くらいになって来つつあるので心配です。

オワコン?それともハジコン?とにかく変化を続けるツイッター

最近、何かといえばツイッターが話題ですよね。

僕自身はイーロンマスクに買収される前からツイッターもほぼやっておらず

SNSもブログもやらなくなっていたので、別にこれを機にやめた、というわけではないのですが、流石に今のツイッターは気持ち悪くてやりたくないな、というのも0ではありません。

何も慈善事業でやっているわけではないですから、黒字化に向けて動くのは正しい企業のあり方だとは思うのですが、何もかもが行き当たりばったりで、今のツイッターを自分の居場所にするには、あまりにも不安定すぎると思います。

何よりこの騒動により「Mastodonに行った方がいいのでは?」「個人ブログの時代が復活するんじゃ?」「mixiやるべ」「メビウスリングやるべ」などと利用者が不安を感じ始め、その不安が伝播して、更にそれが広がり、、、という焦燥を感じるのがとても嫌でした。

たかがSNS、たかがツイッターだからこそ、人が集まったのであり、僕たちは虚空に向けて思いの丈を「呟き」たかっただけなんですが、もはやツイッターは自らの思想や趣味嗜好を正当に議論するような場になってしまいました。

「おすすめ」機能やトレンドの表面化、バズるバズらないを主軸においたやり取り、インプレッション数・RT数・フォローフォロワー数・・・

もはや、2010年台前半のツイッターとは何もかもが変わってしまいました。

これは別にここ最近の話ではないですがね。

ちなみにメビウスリングは閉鎖してました。知らなかった。

ツイッターユーザーはどこに行くか

さて、僕含めた、古くからのツイッターユーザーはどこに向かうのか、ですが

結局、ツイッターに依存している人たちはツイッターから離れられないでしょうし

2010年台前半のアルファツイッタラーがどうたら、ふぁぼ爆弾がどうたら、言っていた人たちは「ツイッター、懐かしいなあ」くらいになってしまっている人も多いだろうと思います。

かつてツイッターで暴れていた人たちも、大人(おじさん)になるにつれて、SNSの奇特なノリ・若者の勢いにはついていけなくなるわけです。

今は無理してついて行っているかもしれませんが、それもじきに限界が来ます。

そうなると皆はどこに行くのでしょうか?

個人ブログ最盛の時よ再び

僕は「個人ブログ」を読むのが好きです。

ネットの海に放流するだけ放流して、別にアフィリエイト目的のSEO対策もせず、撒き餌もせず、別に読まれるつもりもなく、適当に放出しただけの記事が大好きです。

読まれることを想定していない適当に殴り書きされた文章が大好きです。

「と、自分のためにメモしておく」と「他人のために書いてねえから、責任はとらねえよ」と予防線を張る、Windowsトラブルシューティングパソコンおじさんが大好きなわけです。

これがまさに個人ブログの良いところで、他者の目にどう映るか、をあまり考えなくていいのです。

いえ、もちろんこのご時世ですから、時代錯誤な差別や偏見を交えた持論を展開すれば個人ブログだろうがすぐに非難囂々なのは間違いないのですが

一線を越えていなければ、そもそも対極の人が立ち入ることが少ないのですよね。

「○○はクソ!」と非難する記事には「○○ クソ」と検索した人しか大抵来ません。

そしてそういった極端に何か(主に製品、人や主義ではない)を批判する記事は拡散されることもありません。

まさに、ネットの海にブツブツつぶやく、ほぼ独り言なわけです。

どこかで誰かがその独り言を海からすくい上げる可能性はあるわけですが、それもまた浪漫です。

もはや現代のアフィリエイト目的ではない個人ブログは「ボトルメール」と化しているわけです。

このボトルメールのような個人ブログが再び盛り上がるようなことになれば、僕はうれしいなと思います。

とはいえ、盛り上がりすぎても結局は時代は繰り返すだけで、ブログのようなある程度の文章を書く前提の文化は飽きられ、短文のSNSに逆戻りするわけですから、結局流行らないけど、やってる人が一部いるくらいが、一番居心地いいのかもしれません。

 

と、別に普段更新していない僕が思ったのでした。

見るのは好きだけど別に書くのは好きじゃなかった。残念。